小さい頃、スポーツ新聞は「聖典」でした。
たまに親に連れられて喫茶店なんかに入ると、
入り口のマガジンラックに、無造作に折りたたまれた新聞が置いてあってね。
それを見つけると、真っ先に確保したものでした。

幼稚園の年長組だった88年。
星野仙一監督率いる中日ドラゴンズが優勝した年に、
クラス(ゆり組でした)で野球が流行っていたのに乗っかったのが、そもそもの始まり。

以後、公園で友達と遊んだり、わからないなりにテレビの中継を見るようになり、
やがて記 録 ヲ タとしての本性が表れました。

家に届く新聞のスポーツ欄をスクラップしたり、
順位表を飽きることなく眺めたり...それがとにかく幸せで。

そんな少年にとって、
スポーツ紙の膨大な情報量は心をときめかせるには十分すぎました。

打撃30傑まで載ってるとかたまらんのー!とか、
得点圏打率とか盗塁までわかるなんてけしからんとか、
いわばグラビア欄をむさぼるかのように読んでいました。

なかなか目にするチャンスも少なかったし、
たまに訪れる機会は逃さずモノにしてきました。

中学生にもなると、競馬が好きになったこともあり、
コンビニで自らスポーツ紙を買うことも増えました。
その頃には、さすがに「レア感」は失せ、自分にとって当たり前の存在に。
GIの馬柱を切り抜いて、ノートに貼り付けて自分の予想を書き込み、
「自分だけの競馬新聞」みたいなものを作っていました。

黒歴史ですね。

レース回顧文章なんかも書いていて、
思えばブログの前身みたいなものは当時始まっていたのかもしれません。
「こういう仕事に就きたいな」と、漠然と考えていたのもこの時期。

一番好きなことは仕事にしないでおこうと思って、入社試験は一切受けませんでしたけど。

それでも、頭を使ってアイデアをアウトプットするという観点で考えれば、
仕事で夢を実現できている類には入ると思います。
やるやん。

いろいろな意味で、原点なんでしょうね。

きょう昼ご飯を食べたうどん屋さんで、ふとそんなことを考えました。