小倉記念もどっちか言うたら盆休みの風物詩的な役割だったのに・・
今や北九州記念@しかも1200mにその座を奪われ、
中途半端な時期の開催になってしまわれた。悔やまれるわ。
03年は、小倉記念もまだ8月の半ばに行われていた。
この年はスティルインラブが三冠を達成した年、
つまり幸さんがキャリアハイの勝ち星を挙げた年ということです。
夏の小倉でも坂口正大厩舎や白井寿昭厩舎など、
さほど重用されていなかった有力厩舎からの依頼もドカドカ。
普通にメイショウカイドウで準オープン勝ったりしてたしね。
当然、重賞でもええ馬が回ってくるんです。
北九州記念ではダービーレグノに騎乗。
ミレニアムバイオには完敗したものの2着でした。
そして、この小倉記念は上がり馬サンライズシャークとのコンビ。
1000万下を勝ったばかりでも、
54kg軽ハンデも買われて単勝1番人気に支持された。
ところが!!
そんな期待もどこ吹く風。
幸さんがスタート直後から悠然と最後方まで下げる。
いわゆる「ノリスペ」の位置取りからレースを進める大胆さ。
これには驚かされた。
レースが動いたのは3角過ぎから。
後半開催でしかも雨に祟られた馬場は損傷が激しく、
直線は外に出すのが優位なのは明らかだった。
エイシンスペンサーやマヤノアブソルートが好位を形成する中、
武幸四郎のロサードが徐々に外から進出する。
すると、いつの間にかすぐ後ろまで差を詰めてきていたサンライズシャーク。
直線は、外ラチ沿いを通っての叩き合いが繰り広げられた。
結果は惜しくもクビ差届かず2着。
小倉とは滅法相性のよいロサードの底力に屈する結果となったが、
このレースの主役を務めたのはサンライズシャークと幸さんだっただろう。
後日のスポニチの記者コラムでも、
「幸の大胆な騎乗ぶりは武豊と見まがったほど」と評された。
そんな夏があったことを、覚えている人はどれだけいるだろうか・・
今や北九州記念@しかも1200mにその座を奪われ、
中途半端な時期の開催になってしまわれた。悔やまれるわ。
03年は、小倉記念もまだ8月の半ばに行われていた。
この年はスティルインラブが三冠を達成した年、
つまり幸さんがキャリアハイの勝ち星を挙げた年ということです。
夏の小倉でも坂口正大厩舎や白井寿昭厩舎など、
さほど重用されていなかった有力厩舎からの依頼もドカドカ。
普通にメイショウカイドウで準オープン勝ったりしてたしね。
当然、重賞でもええ馬が回ってくるんです。
北九州記念ではダービーレグノに騎乗。
ミレニアムバイオには完敗したものの2着でした。
そして、この小倉記念は上がり馬サンライズシャークとのコンビ。
1000万下を勝ったばかりでも、
54kg軽ハンデも買われて単勝1番人気に支持された。
ところが!!
そんな期待もどこ吹く風。
幸さんがスタート直後から悠然と最後方まで下げる。
いわゆる「ノリスペ」の位置取りからレースを進める大胆さ。
これには驚かされた。
レースが動いたのは3角過ぎから。
後半開催でしかも雨に祟られた馬場は損傷が激しく、
直線は外に出すのが優位なのは明らかだった。
エイシンスペンサーやマヤノアブソルートが好位を形成する中、
武幸四郎のロサードが徐々に外から進出する。
すると、いつの間にかすぐ後ろまで差を詰めてきていたサンライズシャーク。
直線は、外ラチ沿いを通っての叩き合いが繰り広げられた。
結果は惜しくもクビ差届かず2着。
小倉とは滅法相性のよいロサードの底力に屈する結果となったが、
このレースの主役を務めたのはサンライズシャークと幸さんだっただろう。
後日のスポニチの記者コラムでも、
「幸の大胆な騎乗ぶりは武豊と見まがったほど」と評された。
そんな夏があったことを、覚えている人はどれだけいるだろうか・・