ちょうど4年前、うるう年の2月29日に行われた阪急杯。
高松宮記念へのステップレースという位置づけは今も変わらないが、
当時は本番と同じ1200mで行われていた。

短距離界の情勢を振り返っておくと、
女王ビリーヴが前年限りで引退。
スプリンターズSとマイルCSを連勝したデュランダルは、
ぶっつけで高松宮記念に向かうことが決まっていた。
もちろんショウナンカンプやアドマイヤコジーンはもう引退してます。

さて、この阪急杯を勝ったのはサニングデール(当時5歳)。
3歳時には重賞を3勝。
特に函館スプリントSでは、
当時絶対的王者として君臨していたショウナンカンプを下し、
早くから短距離戦線で非凡な才能を発揮していた。

ところが、4歳秋に突如として不振に陥る。
スプリンターズSには間に合わず、
1400mのスワンSから始動するも6着。
年末には、連覇のかかったCBC賞に出走するが11着と大敗し、
6Fではほとんど崩れることのなかった高性能は見る影もなくなっていた。

それでも、使って使って調子を上げていくのが瀬戸口勉流。
年明けにはダートのガーネットSに出走し、
これがショック療法となったのか続くシルクロードSで3着と復調の兆しを見せた。

「もう心配はいらない」とばかりに復活の勝利を挙げた阪急杯。
何度も勝ち負けしてきたシーイズトウショウとの接戦を制し、
続く高松宮記念で悲願のGI勝ち。
あのデュランダルの強烈な追い込みを退けての勝利だった。

・・・・・・
このレースを語る上で忘れてはならないのがギャラントアロー(笑
前年秋、スワンSを勝ちマイルCSで3着。
年明けの淀短距離Sは「貫禄」という言葉すら似合うような完勝で、
次代の短距離路線を担う大物的な雰囲気が漂い始めていた。

・・しかし!

単勝2.4倍の1番人気に支持されながら、
内枠のアタゴタイショウにあっさりスピード負け。
幸さんが押しても押しても加速に手間取り、ハナを奪ったのは3角手前。
これだけリズムを崩してしまっては・・
直線に向くとあっさりと捕まってしまい8着と大敗を喫したのであった。

当時はまだ「気分屋」、「ムラ馬」のレッテルが定着する前。
サニングデール−シーイズトウショウ−テンシノキセキの3連複が3240円ついたことから、
いかに「連軸」としても高い支持を集めていたかがおわかりいただけるであろう。

ちなみにギャラントアローは次の年の阪急杯でも1番人気で7着。
この時はもう気分屋キャラが定着しており、
今さらガッカリ感も何もなかった。

■2004年2月29日 阪神11R 阪急杯
1着サニングデール――――57吉田稔
2着シーイズトウショウ――56池添謙一
3着テンシノキセキ――――55横山典弘
・・・・・・
4着アタゴタイショウ―――56安藤勝己
5着キーンランドスワン――57A.スボリッチ
8着ギャラントアロー―――58幸英明