「このレースは追い込みでは勝てませんから」。
02年ダイヤモンドSをキングザファクトで制した後藤浩輝はこう振り返った。
人気のアドマイヤロード武豊が待機策を敷いたのに対し、
早めのスパートから押し切りに成功した後藤のコメントは誇らしげに見えた。
記憶はさらに2年前に遡る。
00年のダイヤモンドSを勝ったのは、8歳の古豪ユーセイトップラン。
もはや古豪と呼ぶのにも抵抗を感じるほど低迷期を迎えていた。
7戦連続2ケタ着順の泥沼から彼を救ったのも後藤だった。
いや、無理やりに引きずり出したという表現のほうがしっくり来るか。
道中の通過順位は「14-13-5-1」。
3200m(当時)で掟破りのバックストレッチ・スパート。
奇策はドンピシャで当たり、
98年アルゼンチン共和国杯以来の勝利をもたらした。
・・・・・・
ユーセイトップランを管理するのは音無秀孝師。
今でこそリーディング争いの常連にまで格を上げたが、
当時は「新進気鋭」という言葉が似合う、「これから」のトレーナーだった。
そんな厩舎の看板的存在だったエガオヲミセテを、
山元トレセンの火災で失ったばかりだった。
そして鞍上の後藤は、暴行事件で前年夏から4ヶ月にわたり戦線を離脱。
不祥事で表舞台から消えた男は、この1勝を皮切りにリーディング上位へ返り咲く。
今をときめくリーディングジョッキーとトレーナーが織り成す、奇跡の物語。
その真ん中にいたユーセイトップランの名もまた、
懐かしさとともに時折思い出されるのだろう。
特に、こんな寒い冬の季節には。
■2000年2月13日 東京11R ダイヤモンドS
1着ユーセイトップラン――55後藤浩輝
2着ジョーヤマト―――――51田中勝春
3着スエヒロコマンダー――57.5岡部幸雄
・・・・・・
4着タヤスメドウ―――――55M.デムーロ
5着メジロロンザン――――53吉田豊
02年ダイヤモンドSをキングザファクトで制した後藤浩輝はこう振り返った。
人気のアドマイヤロード武豊が待機策を敷いたのに対し、
早めのスパートから押し切りに成功した後藤のコメントは誇らしげに見えた。
記憶はさらに2年前に遡る。
00年のダイヤモンドSを勝ったのは、8歳の古豪ユーセイトップラン。
もはや古豪と呼ぶのにも抵抗を感じるほど低迷期を迎えていた。
7戦連続2ケタ着順の泥沼から彼を救ったのも後藤だった。
いや、無理やりに引きずり出したという表現のほうがしっくり来るか。
道中の通過順位は「14-13-5-1」。
3200m(当時)で掟破りのバックストレッチ・スパート。
奇策はドンピシャで当たり、
98年アルゼンチン共和国杯以来の勝利をもたらした。
・・・・・・
ユーセイトップランを管理するのは音無秀孝師。
今でこそリーディング争いの常連にまで格を上げたが、
当時は「新進気鋭」という言葉が似合う、「これから」のトレーナーだった。
そんな厩舎の看板的存在だったエガオヲミセテを、
山元トレセンの火災で失ったばかりだった。
そして鞍上の後藤は、暴行事件で前年夏から4ヶ月にわたり戦線を離脱。
不祥事で表舞台から消えた男は、この1勝を皮切りにリーディング上位へ返り咲く。
今をときめくリーディングジョッキーとトレーナーが織り成す、奇跡の物語。
その真ん中にいたユーセイトップランの名もまた、
懐かしさとともに時折思い出されるのだろう。
特に、こんな寒い冬の季節には。
■2000年2月13日 東京11R ダイヤモンドS
1着ユーセイトップラン――55後藤浩輝
2着ジョーヤマト―――――51田中勝春
3着スエヒロコマンダー――57.5岡部幸雄
・・・・・・
4着タヤスメドウ―――――55M.デムーロ
5着メジロロンザン――――53吉田豊
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